脚本家 北阪 昌人さん

脚本家 北阪 昌人さん

  • 2009年9月8日 
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いろいろあるけど、頑張ろう。

カーステレオから流れてくるラジオ番組。仕事中、勉強の合間に聞くラジオ番組。
深夜放送のパーソナリティに恋をしていた人もいるかもしれない。
TOKYO FM日曜17時から放送されている「NISSANあ、安部礼司」の脚本を手掛けている北阪昌人さんも学生の頃からラジオに親しんできた一人。
27歳の時に初めてラジオドラマを書き、それからずっとラジオドラマにこだわってきた。
ラジオドラマが再び脚光を浴びている今、なぜラジオドラマなのか話を伺った。

自分の損得で行動しない男、安部礼司。誕生日は昭和46年10月10日37歳。静岡県生まれ。東京の神田神保町に勤めるごく平均的(アベレージ)なサラリーマンである。その彼が、社会の荒波に揉まれながら成長していく日常の姿を描いたラジオドラマ「NISSANあ、安部礼司」が注目を浴びている。今の30代がツボと感じる1980年代の歌を中心とした選曲とともに番組が進行していく。なぜか共感してしまう等身大のストーリーに全国のリスナーからエールの声があがっている。脚本は北阪昌人さんと劇団「拙者ムニエル」主宰の村上大樹さんが担当。2007年10月に発売された脚本集は予約開始と同時に予定数を完売した。

 

【ラジオだから伝わるもの】

「脚本の仕事をする前は、普通のサラリーマンである安部礼司と同じ、私も普通のサラリーマンでした。でも、自分の人生に何かが足りないとも感じていた。本やテレビ、映画を見ながら自分だったらどう書くか、考えたこともありました。見る側より書く側になりたい。27歳の時にラジオドラマを書き月刊ドラマに応募しました。『湖底の街』というタイトルでしたが、それが予選通過して本に自分の名前が載ったんです。嬉しかったですね」と北阪さん。
何かをしながらでも聴けるところがラジオとテレビの違いである。パーソナリティとリスナーが一対一で言葉を共有し、共感し合う。パーソナリティの一言で頑張ろうと思えたり、パーソナリティに話しかけたくなったりする感覚はラジオの良さであろう。
ラジオドラマは、人の姿形が見えない。匂いも色も分からない。だからこそ、伝わるものがたくさんあると北阪さん。「目に見えているものを、そのまま表現するのでは、伝わらない時があります。ラジオでは言葉と音だけが表現の手段ですよね。ラジオから素敵な声で、くすくすっと笑い声がする。どんな風に笑っているんだろうと考える。顔は見えないから声のイメージでどんな女性かを思い浮かべてみる。あるいは、肉まんが、ふわっと蒸し上がって、それを二つに割るといい香りがしてくる。五感を音だけで表現するから、その人にとって一番お気に入りの肉まんが目に浮かびますよね。そして、笑っている女性の気持ちだとか、美味しい肉まんを食べた時の喜びとかまで、思い浮かぶ。それは一人一人違うし、そこがラジオの良さだと思う」。

 

【電車の中が勉強部屋】

北阪さんは中学2年生で取手市(旧藤代町)に引っ越し、中学・高校と都内の学校に常磐線で通学をした。その頃の常磐線は通称赤デンと言われ、手動の内開きのドアで、ドアを開けたままでも電車は発車して、それが当たり前の光景だった。ドアから入ってくる風を受けながら車外の風景を眺める事も出来た。
その常磐線「赤デン」に乗って学校までの往復約3時間を過ごした。予習も復習も、本を読むことも電車の中。余計なものがないから家にいるよりも、ずっと集中できたという。大学の一時期は学校の近くに住んだが、社会人になっても電車通勤である。「いろいろなことを電車の中で学んできたと思います。電車には様々な人が乗ってくるので、人間観察にもなりましたね。例えば、老夫婦が座って何かを話している。聞いても何を言っているのかさっぱりわからない。でも二人には分かっていて、うんうんと頷いている。
中学の頃はボックス席に座ると、サラリーマンが足元から立ち上る暖房の上に新聞を広げてくれて、新聞紙を挟んで向い合い、まるでこたつに入ったような感じで、学校に通ったこともありました」。

 

【セリフとト書き】

学生の頃、日記をセリフとト書きで書いたことがあった。セリフは会話、ト書きは状況を説明するものである。友人と話したことにト書きを入れて、脚本にする。
○名曲喫茶「あらえびす」
暗い店内。ブラームス交響曲一番のイントロが流れる。
スズキ「実習、なにやるか決まった?」
オレ「いや。でもカフカにしようと思う」
スズキ「そっか。オレはやっぱ『魔の山』かなあ」
オレ「おまえ、よく読んだよな」
黒い服のウェイトレス、オレたちに近づき
ウェイトレス「他のお客様に迷惑ですので、お静かにお願いします」

日記はこんなふうに続いていく。
「後から読んだら面白くなかったんです(笑)。山田太一、向田邦子、倉本聡らの脚本は読んでいても面白いのになんでだろう?今から思えばおこがましい話でしたが、日常の話をダラダラと正直に話しているだけでは、ドラマにならないという事に気づきました」。
脚本には嘘があった。企みがあった。意外性のあるセリフや、現実を脚色した仕掛けがあった。
人は、自分の心を正直に言わないし、自分の都合を押し通すために企むんだ。嘘のセリフは、実は本当の心を映し出したもの。そう気づいた時に、脚本が面白くなった。「ラジオドラマを書き始めて10年以上がたちましたが、今でも心のどこかで、あのつまらなかった日記がいきています。そして、やっぱり世界はセリフとト書きで出来ていると思います」。

 

【ラジオの力】

北阪さんがラジオの仕事を通して感じていること。それは、人間は「想像力」を取り戻さなくてはいけないということ。今、ラジオドラマがヒットしているのもその理由があるからではないだろうかと語る。「目の前にあることを見て、そのままの事実を把握しただけでは、想像力は働いていませんよね? 言葉の奥にある、声にならない言葉を想像しなければ、優しさも育たないと思う。目を閉じて、心を遊ばせてみる。想像力を養うことは、何ものにも代えがたい大切なものでは。もちろん、妄想でもいいんですよ(笑)」。
北阪さんが高校、大学の頃は夜10時から放送していた「夜のドラマハウス」をよく聞いていた。「ミュージックスカイホリデー」のパーソナリティそら豆さんあてに、リスナーから寄せられる恋の悩みや、日々のことに耳を傾けていた。
「番組にリスナーがふられましたと投稿してくる。それを聞いて、俺だけじゃないんだなと思う人もいる。みんないろいろあるんだ、いろいろあるけど頑張ろうと思える。それがラジオの良さでは。これからもラジオドラマを書いていきたい。いいなと思ってもらえる番組を作っていきたいですね。私が暗い部屋でラジオを聞きながら貰っていたものを、脚本を通じてラジオに返すことが出来るのかなと思います」と北阪さん。

 

 北阪 昌人 Masato Kitasaka

1963年大阪生まれ。中学2年生の時に取手市(旧藤代町)に引っ越す。学習院大学ドイツ文学科卒業。NHK-FM、ニッポン放送ほかラジオドラマ脚本多数。2007年東北放送ラジオドラマ『プラットホーム』にてギャラクシー奨励賞、文化庁芸術祭優秀賞受賞。日曜夕方5時からTOKYO-FM系列全国37局ネットで現在放送中の『NISSANあ、安部礼司』の脚本を担当。日本放送作家協会・日本脚本家連盟会員。
ホームページ  http://homepage2.nifty.com/m-kitasaka/
■インフォメーション

『NISSANあ、安部礼司』の中で使った曲のCD「IMATSUBOX」(3枚組)と脚本集SEASON3が10月10日に発売される(予約受付中)。脚本集SEASON1,SEASON2は部数限定で絶賛発売中。
ホームページ  http://www.tfm.co.jp/abe/

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シンヴィング編集部

1994年創刊の地域情報紙シンヴィング。 もっと『守谷』『取手』『つくばみらい』を合言葉に茨城県南地域の情報をお届けします。

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