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投稿日: 2010年8月21日

陶芸家 城山窯 塚原 三千勝さん

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自分は偽れない。作りたいものを作り、絶えず夢を追いかけていきたい。

自分は偽れない。作りたいものを作り、絶えず夢を追いかけていきたい。

守谷市は陶芸が盛んな町で、市内の各地で陶芸を楽しむ人が多い。
守谷市に生まれ、市内で作陶を続けている陶芸家塚原三千勝さんは、守谷市に陶芸を広めた草分け的存在の方である。
守谷市に文化的な活動があまり盛んではなかった頃、友人と展覧会を開いたり、守谷に文化を広めようと尽力されてきた。
その活躍が認められ、2009年には文化芸術活動で茨城県知事賞を受賞された。

現在のロックシティ守谷の敷地に、守谷中学校の木造校舎があったことをご存じだろうか。1960年代、守谷が今のような発展を遂げる以前の「守谷町」だった頃に、話は遡る。陶芸家塚原三千勝さんは、守谷市教育委員会の職員として働いていた。
「当時の守谷は、何もないところでした。文化的な行事も少なかったので、とにかく何かやろうと宮城県仙台市で活躍していた『ほうねん座』を呼んで、公演をしてもらいました。今思えば、それが守谷市文化協会を作ったきっかけでしたね」と塚原さんはその頃を振り返る。最初の文化協会の会員は7名。絵画や生け花、日本舞踊の先生に呼びかけて展覧会をしたり、文化的な活動を始めるようになる。

【熱血、塚原先生】

その後塚原さんは守谷中学校に教員として赴任。「守谷中学校に楽焼の窯がありまして、茨城大学で陶芸を専攻していた先生がいたんです。その先生から陶芸を教わり、手びねりの作品を作り始めました」。最初に使った土は、笠間から取り寄せた土だったが、信楽(しがらき)から土が入るようになる。信楽は笠間の土より扱いやすく形になりやすいので、土が自分が作りたい形になった喜びは今でも忘れられないという。
守谷中学校時代は生徒との仲も良く、テレビの金八先生にも負けないくらいの熱血先生だったそうだ。「生徒たちに、夏休み中毎日3時間勉強することを約束させたんです。出来なかったら、女生徒は学校まで歩いて登校、男子は丸坊主にして来いって言って(笑)」。
9月1日、始業式の日に男子生徒が全員丸坊主にしてきた。
その生徒を前に、3時間勉強をしなかったことより、正直に申告してくれて、丸坊主にしてきたことのほうが嬉しかったと思ったそうである。「今でもこのことを誇りに思っています」と塚原さん。生徒との絆の強さがうかがえるエピソードだ。

【陶芸の面白さ】

塚原さんは教職のかたわら、公民館などで陶芸教室で長年にわたり陶芸を指導してきた。退職後は自宅近くに工房を構え作陶に取り組む。工房は守谷の自然がそのままに残された場所にあり、木と木の間からつくばエクスプレスの高架が見える。手びねりの器にまつぼっくりで模様をつけたり、素朴な和みの器が工房に並んでいる。
陶芸の良さは、どんなものでも作れて、使うことができることだそうである。
「作品は使うためにあります。花器は花をいけるために作りますし、まっ茶碗はお茶をたてるために作る。食器は料理を盛り付けるため作るんです」と言う。実は、料理も得意だという塚原さん。工房の庭で作っているしし唐やナスを料理して器に盛り付ける。陶芸をすることで、料理の楽しみを知ることも出来た。教員時代の教え子がそばを打つので、そばちょこを作ったり、人が集まる時には食卓に乗せる器を作ったり、生活を楽しむ器が好きだという。「陶器は元々使うものですから。自分で作ったこの世にひとつしかないぐいのみで、お酒を呑んだら美味しいですよね」芸術としての陶芸が評価されても、使ってこその器ということをいつも忘れずにいる。

【夢を追いかけていくこと】

塚原さんに陶芸の楽しさを伺うと、陶芸は焼き物というくらいだから、作品を焼いている時が一番大切な時間だそうである。どんな窯を作るのかで仕上がりも変わってくる。工房にある穴窯も何度も作りなおした。「窯に入れた段階で、どう出来上がるかだいたいは分かっているのですが、それでもイメージ通りになることは少ない。これでいいというものは、なかなかありません」と語る。
なぜ陶芸を続けてきたのか。作りたいから作るのだという。自分を偽るものは作らない。「これでいいと言えば終わりだから、何百回作ってもまだまだ。そんなふうに作品を作っていたら、時間なんていくらあっても足りないくらいです(笑)」。
絶えず夢やあこがれを追いかけていくことで作品に向き合う。例えば、塚原さんの作品によく使われている色が「緋色」だ。窯に火を入れながら、心に浮かんだ緋色をイメージする。「緋色という色に対するあこがれがあり、それを陶芸で表現しようとする。窯を開けた時に、せっかく焼いたのにダメだったということもあります。そんな時は、この次はよく焼こうと思うんです」。
上手くいかなかった時は「よし、この次はよく焼こう」と思う。
納得がいった作品ができた時は「よし、この次もよく焼こう」と思う。
この次は、この次も、そう思いながらのらりくらりやってきたと笑う塚原さん。「いつの間にか陶芸家と呼ばれていますが(笑)好きなことをやってきて、気が付いたらここまできていたという感じです」。コンピューターで出来ることがたくさんある時代だが、薪窯に火を入れるような、人がやる仕事にまた戻っていくのではないだろか。「私の作品を見た人が、この作品を見ると心が和むよねと思ってくれれば、自分の作品も認められたのかなと思いますね」今後も素朴で、日本の情緒ある作品を作っていきたいと塚原さん。

プロフィール

自分は偽れない。作りたいものを作り、絶えず夢を追いかけていきたい。

 塚原 三千勝  Kanji Ohashi

1935年    守谷町(現守谷市)に生まれる
1958年    早稲田大学卒業
1970年    独学にて作陶を始める
1972年    茨城県展初出品入選、以後連続入選
1975年    伝統工芸新作展初出品、以後7回入選
1980年ごろ 守谷の土を使って作陶を始める
1977年    日本陶芸展入選
1984年    日本伝統工芸展入選
1990年    国際陶芸展銀賞受賞
1995年    伝統工芸茨城展にて守谷の土を用いた作品を「守谷将門焼」として発表
2004年    現代茨城の陶芸展出品
2009年    茨城陶芸美術館開館10周年記念展出品
茨城工芸会会員 常総陶芸研究会会長 守谷市文化協会会長 2009年に文化芸術活動で茨城県知事表彰を受賞