斉真舞踊研究所 斉真 桜舟さん、斉真 千舟さん

斉真舞踊研究所 斉真 桜舟さん、斉真 千舟さん

  • 2009年5月16日 
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ダンス

大切なことは踊りが教えてくれた

利根町にある斉真舞踊研究所では3年に一度
取手市民会館で舞踊公演を開催している。今年は発表の年にあたり、6月6日の公演に向けて、皆さんが日々の練習に励んでいる。日本舞踊あり、詩舞あり、バレエあり、ジャズダンスあり、アジアの民族舞踊ありと見る人を飽きさせないその舞台を、毎回楽しみにしている人も多い。

 

【母、斉真千舟さん】

斉真舞踊研究所創始者である斉藤真由美さん(斉真千舟さん:以降千舟さん)の物語は、中学生の時に出会った先生との恋というドラマチックな話から始まった。中学卒業と同時に婚約、千舟さんの高校卒業を待って結婚をする。その後「バレエを習いたい」と小岩研究所の研究生となる。小岩研究所では、日本舞踊・詩舞・アジアの民族舞踊など様々なジャンルの踊りを習う。19才で長男を出産。21才で次男、23才の時に長女が生まれ、3人の子供を育てながら、踊りを続けてきた。「舞踊の名取を取って、それから東京シティバレエ団で振付を担当している先生からバレエを習って。子供を育てながらでよくやれたねと言われますが、若かったからでしょうか(笑)。子育ても楽しかったですね」。
1974年、末っ子の順子さん(斉真桜舟さん:以降桜舟さん)が2才の時に、斉藤真由美舞踊研究所を創設。桜舟さんも踊りを習い始める。桜舟さん4才の時が初舞台。「当日、足が痛いから出ないと言だして(笑)。でも、日本舞踊の重いカツラをつけながら、完璧に踊りあげました」。
1981年に利根町に引っ越す。「取手駅はまだ木造で木の階段をおりると、緑がたくさんあって。1時間で東京に行ける距離なのに田舎の良い所が残っていて、子供を育てるにはいい環境でした。ここに住まないと損するって思ったんですよ(笑)」と千舟さん。その後は利根町で踊りを教え、2000年に斉真流を創流、斉真舞踊研究所と名前を改める。

 

【娘、斉真桜舟さん】

小学校、中学校と体育が得意で通信簿はいつも「5」、誰とでも仲良く話が出来る子供だった桜舟さんは、学級委員長やハンドボール部のキャプテンを務め、運動会ダンスでは全校生徒の前に立って指導。クラスの中心となるタイプで人望も厚かった。
高校1年生から研究所でアシスタントとして踊りの指導を始める。短大では初等教育科を専攻し、卒業後は、地元利根町の小学校の教員となる。新卒で慣れない仕事が山のようにあった日も、家に帰ってからはスタジオでレッスン。「あー疲れたと帰って来るのですが、スタジオで踊り始めると、水に帰った魚みたいに生き生きとしてくるのが分かるんです。ああ、やっぱり私の居場所はここなんだなと思いました」。
就職してこのまま踊りを続けられるのか、結婚後はどうなるか分からないと悩んだこともあったが、やはり踊りを続けていこうと決意。その後、非常勤で体育代替の先生をしないかと声がかかり、近隣の小学校で妊婦の先生に代わって体育を教える。
先生として働いたことは踊りに役立っていますかと伺うと「逆に、踊りで身についたことを学校で活かしたという感じですね」と桜舟さん。

 

【母娘が伝える踊りの心】

踊りの指導では、褒めて伸ばすことを心がけている。「怒っても直らないんです。2才からの子供がいるので、例えば手を挙げなさいと怒るより、手を挙げている子を上手だねと褒めると、周りの子も手を挙げるようになります」。
それから、嘘をつかないこと。「どんなに小さい子供でも、本当のことを言うこと。小さいからまだ分からないだろうと思っている親も多いのですが、子供は2才でも3才でも分かっています。だから、どんなに小さい子でも1からきちんと教えていきます」。
練習中もお行儀よく座らせて、お姉さん達が練習しているところを見学させる。「自
分の練習時間だけが稽古ではなくて、待つことも大切な稽古なんです。子供だから動きたくなる。でも、じっと見ている我慢、動かない我慢が出来ないと、踊りにならないんです。お姉さん達の踊りを見ていることで、我慢すること、自分の気持ちのコントロールをすることが出来るようになります」。

 

【楽しめる舞台づくり】

斉真舞踊研究所は生徒75名、誰もが楽しそうに練習をしている。大人数だがもめ事もなく、生徒はみな仲が良い。公演では、飽きない単調にならないみんなが楽しめる舞台を目指している。様々なジャンルの踊りに、衣装や振り付けを変え、自己満足ではなく見てもらう舞台を作っている。客席、親、スタッフそして踊り手が楽しめ、その全部がひとつにならないと良い舞台とは言えないと桜舟さん。「ライバル心を煽って競争させれば、もめ事が起きるでしょう。でも、うちはえこひいきをせずに、どの子供にも親はいるんだからという気持ちで舞台を作っています」。どの子にもスポットが当たるよう、立ち位置を工夫し、中には真ん中で踊るのは苦手という子もいるので、その子の持ち味を活かした振りつけをしている。そんな気付かれない所での配慮が、仲の良い楽しめる舞台を作るのではないだろうか。
公演当日は外部のスタッフから、こんなに温かい楽屋は珍しいと言われたという。「みんな、舞台が終わるごとに成長しています。舞台に上がって、友人や大勢の観客に見てもらうことで、意欲が違ってくる。踊りが続けられるのは親の協力があってこそだし、応援してくれるたくさんの人がいる。本人のやる気だけで頑張れるものではないですね」。

 

【続けていくことの大切さ】

 どの生徒も途中でやめずに長く続けているのは、仲間と踊ることの楽しさを実感しているから。30年近く踊りを続け、結婚して地元を離れてもやめずに通ってくる人もいる。「踊りを続けることで、人前で話せるようになったり、気持ちのコントロールが出来るようになっていきます。生きていく上で大事なことが身についていると感じています」と桜舟さん。
今後は、生徒の中で独立して斉真流舞踊を教えていく人が増えてくれれば嬉しいですねと千舟さん。

 

 斉真 千舟 Senshu Saima

本名:斉藤真由美 1948年 東京生まれ
1967年 榊原千代子に師事
1974年 斉藤真由美舞踊研究所創設
1981年 利根町に移転
2000年 斉真流創流
最近では2004年にグランドクリスマスフェスティバル県知事賞、2007年同フェスティバル龍ヶ崎市長賞受賞。
舞踊指導の他、高齢者の健康体操の指導者として近隣で健康体操を教える。草月流師範
斉真 桜舟 Ohshu Saima

本名:片山順子 1972年 東京生まれ
2歳から舞踊を始め、4歳で初舞台を踏む。16歳から研究所のアシスタントとして指導を始める。劇団四季や宝塚出身の先生に師事し、斉真舞踊研究所で様々なジャンルの舞踊を習得。
2000年 斉真流名取・師範取得。
小学1年生と3歳児の母でもある。

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シンヴィング編集部

1994年創刊の地域情報紙シンヴィング。 もっと『守谷』『取手』『つくばみらい』を合言葉に茨城県南地域の情報をお届けします。

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