観世流能楽師 橋岡 伸明さん

観世流能楽師 橋岡 伸明さん

  • 2010年5月22日 
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伝統的

本物は人をいかします。本物に触れる時間を大切にして欲しい。

650年の歴史を持つ、日本の古典芸能である「能」。能楽は重要無形文化財であり、2001年にはユネスコの無形文化遺産に登録されている。日本における代表的な伝統芸能として、国際的にも高い評価を受けている能。つくばみらい市在住の橋岡伸明さんは観世流の能の継承者として、難しい、敷居が高いといったイメージのある能を、もっと身近なものとして伝えようと活躍している若き能楽師である。

代々能楽を守ってきた橋岡家の三男として生まれた伸明さん。能の稽古を始めたのが3才の頃である。「子供ですからね。きっかけは、お兄さんたちと同じおもちゃを買ってもらいたくて『僕もやる!』って言ったのが始まりなんです(笑)」。その頃からずっと、将来の夢を書く時は「能楽師」だったそうである。
能は専門教育、若いうちからやらないと板につかないと、子供でもきちんと稽古をつける。「稽古時間に決まりはなくて、師匠がいいと言うまでは終わらないんです。叱られて、泣きながらやるから、かえって上手にできず、でもきちんと出来ないと帰れない。厳しいなと思ったこともありましたが、そうしないと本玄人のたたき上げにはならないんです」。厳格な稽古と日々の精進の上に、650年守られてきた伝統芸能があるのではないだろうか。

 

【能の楽しさとは】

「能の楽しさは浮世離れしていることでしょう」と橋岡さん。「田村」という演目がある。関東に住む僧侶が京都の清水寺を訪ね、坂上田村麻呂の化身である少年と出会い、月灯りに映える桜を楽しむという話である。
能の舞台には、凝った舞台装置はない。松の木が描かれているだけの舞台で、関東から京都までの道のりを表現する。たどりついた京都清水寺には、見渡す限り満開の桜が咲きほこり、その桜の散り染める様は、まるで神の庭に雪が降ったよう。
「清水寺に観光客がいないって、本当の世界ではあり得ませんよね(笑)。でも、能の舞台では、満開の桜が咲く清水寺に自分と少年だけ、優美で華やかな清水寺を満喫することが出来るんです」。
心の中で想像してその世界を楽しむことが能楽の楽しさだという。泣かずとも泣いているしぐさだけで悲しみを表現し、音を立てずとも砧を打つしぐさだけで、その音が聞こえてくる。「能は自分の芸力だけで観客を満足させなければいけない。想像させる力をどれだけ磨けるかでしょうね」と橋岡さん。
必要でないものを削って、無駄をなくした時に、妥協のない研ぎ澄まされた舞台が出来上がっていく。

 

【子供たちに伝えていきたいこと】

日本のことを知らない子供が多い。「海外に行くと、日本のものを何かやってと必ず言われます。しかし、日本の文化的なことを何も出来ない子供が多いですね」。橋岡さんは、つくば市の小中学校などで講演を行い、日本の楽器や芸能に触れる機会が減ってしまった子供たちに、能を通して日本を知るきっかけ作りをしている。子供たちに「蜘蛛の糸」を投げる実演をさせたり、能装束や面(おもて)を実際につけてみたりと、能楽を肌で感じさせる機会を設けている。
日本にもいろいろな良いものがあることを気づいてもらいたいと橋岡さん。「能は、道具がいらないんですよ。喉(声)ひとつでしょ。海外に持って行くにも荷物いらずですから(笑)」。
子供たちに対するメッセージとして、一人ひとり人生をかけられるものが見つかれば最高と橋岡さん。生涯かけて続けられるものが見つかるまでは、たくさんの本物を見る機会を増やして、見つける時間をかけてもいい。なりたい自分が見つかったら、どうしたらそうなれるのか、よく考えて自分を磨くこと。つねにプラス思考で楽しいことを考え、本物を見極めちゃんと判断することが大切だという。「いいものと悪いものが見分けられるまでは、子供は親の言葉に耳を傾けたほうがいい。親は嘘をいいませんよ」。

 

【本物に触れる時間】

みらい平に引っ越して、1年が過ぎる。同時期に遠州流家元からお茶を習い始めた橋岡さんだが、お茶を立てることも能に通じるところがあるという。「私の稽古は、ちょっと変わっていて、ちゃんとした稽古のあとに、お茶ゴッコがあるんですよ。お茶の点前をしながら能を謡ってもらうんです」と、弟子に教える時もちょっとした遊び心を忘れない方である。
橋岡さんは能楽師の家に生まれ、父であり人間国宝である橋岡久馬氏の姿を見続けてきた。なぜこの家に生まれたのか、自分の役割は何か、その意味を問うことは計りしれない大きさであろう。反発をしたこともあったが、観阿弥・世阿弥の頃から650年、受け継がれてきた能楽の世界に、自分が身を置いていることの大切さや重みを感じ、それをこれからの世代へと繋いでいこうとしている。
「生まれながらに親が与えてくれたものを、どう人に伝えていくのか。自分を磨き努力することで、相手を感動させられる芸になっていく。一流のもの、ちゃんと心のある一流になれば、ずっと残っていくと思います。偽物になってはダメ。偽物は腐りますから」と語る。
超一流を目指して、やっと一流。
感謝の心を持って、頂いたご恩に奉公していくこと。
心のある本物でありたい、その言葉が心に響いた。

 

 橋岡 伸明  Nobuaki Hashioka

1970年    故・八世橋岡久馬(観世流仕手方職分能楽師、重要無形文化財総合指定保持者)の三男として生まれる。
1974年    仕舞「春栄」で、自宅にて初舞台
1981年    能「枕慈童(まくらじどう)」のシテ(主役)にて初能
1989年    海外公演「観世流海外演能団」に参加
以降、国内・海外とも多数の公演に参加する。
2002年    国立能楽堂・橋岡會つくば新春特別公演にて、能「望月」のシテ(主役)を勤める。
2004年    レコード会社「エイベックス・グループ・ホールディングス」の株主総会のシークレットライブにて能楽の舞を披露。
2010年    茨城県県民文化センターにて、文化庁「地域文化芸術振興プラン」推進事業主催で舞囃子「桜川」でシテを勤める。
6月19日    取手市井野昌松寺にて「能楽とホタル鑑賞の集い」開催
つくばみらい市在住   問い合わせ先/090-2404-8513

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シンヴィング編集部

1994年創刊の地域情報紙シンヴィング。 もっと『守谷』『取手』『つくばみらい』を合言葉に茨城県南地域の情報をお届けします。

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